シールズのデモに感じていた違和感の理由が分かったの巻

TBS RADIO タマフルPodcast(放送後1週間は聞けるはず)
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2015/10/1010_3.html
"シールズ"デモのコールの裏側の回が興味深すぎた。
音楽としてのヒップホップを優先するがあまり、主張自体が二の次になっていると感じた。
そして、実はヒップホップは政治に向かないということを証明してしまったように思う。
快感を優先するがあまり、主張そのものより、音感を優先するのでは、本末転倒。
さらにコミュニケーションエラーも頻発している。
つまり、本意が正確に伝わらず、世間に勘違いされかねない曖昧なニュアンスが多い。
例えば、新聞記者のオッサンたちは、「SEALDsの言う『安倍しね』は本当に安倍首相の死(政治的死を含む)を求めている」って思って記事を書いてる。なぜなら「disる」という文化を知らない世代が編集責任者なのだから。
そして結果的にデモ隊に対する嫌悪感が社会に芽生えてしまったように感じる。
少なくともアタイは否定的な印象を持った。

ラップやストリートアートなどのヒップホップの表現手法は、感情をむき出しにし、拡散するのに役立つように思うが、ヒップホップの特性=過度な表現によって感情が一人走りし、印象ばかりが増幅されてしまうきらいがある。

民主主義は、前提が性善説
お互いの尊重と理解し合おうという個人個人の努力の積み重ねが社会に調和をもたらし個人の権利や立場を向上させる。
怒りや不満を増幅させるヒップホップは、敵対関係をむやみに伝搬してしまう民主主義の足を引っ張る存在のようにも思う。

スチャダラなど、日本語ラップの聡明期の羞恥心と共生していた和製ヒップホップの方が、アタイは性に合うわ。。。